北九州市青少年ピースフォーラム派遣事業へ参加して(引率)

ピースフォーラム会場ピースボランティアによるフィールドワーク山里小学校 防空壕見学                                                                                                                                観光文化学科3年 德渕佳世

本年8月8日から2泊3日の日程で、長崎市での平和学習に参加しました。この事業への派遣団員は小学5年生から高校3年生の20名で、私は北九州市内大学から選抜された大学生スタッフ(大学生引率スタッフ:男女各1名)として参加しました。
この行事は、北九州市が毎年市内の子どもたちを長崎市に派遣し、同市が主催する「青少年ピースフォーラム」の中で、被爆体験講話の聴講や原爆犠牲者慰霊平和祈念式典への参列、他都市の参加者との意見交換等を行うほか、本市独自にフィールドワーク等を行うことで、被爆の実情や平和の尊さを学習するというものです。
7月に行われた事前研修会で、「8月9日、長崎に投下された原子爆弾の第一目標が、北九州市小倉であったこと」を学び、私たち派遣団は長崎へ出発しました。
8月8日(1日目)は、「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」を見学後、「青少年ピースフォーラム」に参加しました。平和祈念館では、追悼空間に納められた死没者名簿の多さに、言葉が出ませんでした。団員は、ビデオで被爆者の証言を拝見したり、被爆医療に関わった方について学んだり、それぞれが、原子爆弾による被害を重く受け止めていました。「爆心地から500ⅿの範囲で残ったのは、「灰」だけだった。」ピースフォーラムでの被爆体験者の講話で、この言葉が非常に印象強く残りました。当時は、空襲警報が解除され、普通に生活をしていましたが、爆心地周辺は、一瞬で灰となり、運よく助かった方も、放射能で次々と亡くなってしまったそうです。その後、ピースボランティアの案内で、平和公園と爆心地公園をフィールドワークを行いました。「今もなお、原爆で亡くなった方の人数は増え続けている」「被爆当時の地層の上に、今の長崎がある」「原爆で被害にあったのは、日本人だけではなかった」このこと以外にも、実際に見聞きし、触って、原爆の被害の大きさを学びました。
8月9日(2日目)は、永井隆記念館で、博士の生き方や平和への活動について、学びました。「己の如く隣人を愛せよ。」博士が生きる指針としていた言葉です。他にもたくさんの言葉を残していました。私は、「愛」で平和をつくる、という強いメッセージを受け取りました。
その後、平和祈念式典へ参列しました。長崎市長の平和宣言は心に刺さりました。被爆体験を語ってもらうことは、当たり前の事ではないのです。辛い記憶を思い出し、懸命に伝えてくださる方の言葉に、真剣に耳を傾け、私たちの世代が引き継いでいくのだと決意しました。

今年は長崎で「平和首長会議」の総会が同時開催されました。海外からの参列者が多いことも、テレビなど報道に接するだけでは分からなかったことです。実際に被爆地を訪れなければ、「きのこ雲」の下で起きたことを理解することはできません。2日目のピースフォーラムでは、約40の自治体から訪れた同世代の若者と共に、話や写真を「多面的に捉える」ことを学びました。参加者の様子を見学していると、会場全体が、「思いやり」に溢れた空間になっていると感じました。「平和のために私ができることは何か。」共通の思いを持つことが、このような雰囲気を生みだすのだと思いました。
原爆資料館では、2日間学んだことを、参加団員1人1人が整理しながら見学していました。思わず足が止まる、涙が出るような写真がありました。当時を知らない私たちは、時間が経つと、訪れた時の気持ちを忘れてしまうものです。1度に限らず、何度も足を運び、「事実を忘れないようにしなければ」と強く思いました。
8月10日(3日目)は、山里小学校と城山小学校を見学しました。城山小学校でも、被爆体験の話を伺いました。3歳で被爆された方で、原爆の事体の恐ろしさだけでなく、放射能を浴びたことによる「いじめ」についてお話して頂きました。その中で、「生きるって素晴らしいことだよね」と微笑みながら話す姿が印象的でした。当時、学校は兵器工場になり、授業をすることができなかったといいます。私たちは、そのような中で、児童やその家族、兵隊に行かない女性教師たちが、被害に遭ったことを、重く受け止めなければならないと思います。
この3日間で、多くの「言葉」に出会いました。
「心は形に現れる その形は心に響く」
「平和は山里から 日常の平和から」
長崎市平和の語り部 吉田勝二氏が遺した言葉です。72回目の8月9日を迎え、被爆者の平均年齢は80歳を超えています。私たちが被爆体験者の講話を聴くことのできる最後の世代であるという自覚を持ち、今回の体験を周りの人に伝えていきたいと思います。
「平和はわたしから 日常の平和から。」この言葉を、多くの人に知っていただきたいです。

 

博多港クルーズセンター研修について

観光文化学科 大馬咲

  2017年7月30日、私たちは博多港のクルーズセンターを訪問させていただきました。現在、博多港はクルーズ船寄港回数が日本一となっているほど、とても重要な寄港地です。主にクルーズ船は中国人の方々が多く利用されています。それに比べ、日本人はあまりクルーズ船になじみがなく日本人の利用者数は少ないとも伺いました。クルーズセンターでは今後も多くのクルーズ船や観光客を迎えるための取り組みなどを行っています。

私は観光立国を目指す日本にとってクルーズ船は外国との新たな架け橋となる重要な交通手段でもあると考えます。この研修に参加するまで全くと言って良いほどクルーズ船に関する知識を持っていませんでしたが、この研修でクルーズ船に対する考え方や見方が大きく変化しました。私のようにクルーズ船についてあまり知らない方々にもっと魅力が広がっていってほしいです。

また、先輩方ともお話させていただき、普段の生活では得ることのできない経験をさせてもらいとても良い刺激になりました。

研修に行くからこそ得られるものが多くあると改めて思ったのでこれからも多くのことを経験し、ここで学んだことをしっかり今後に生かしていきたいと思います。

2017 博多港クルーズセンター P73000642017 中国上海から来たクルーズ船 P7300054

博多港クルーズセンター          中国上海から来たクルーズ船